デザイナーのコラム

旧暦と新暦のお花に関わる話

10月14日は旧重陽【ちょうよう】の節句であり、菊のお節句とも言う。菊を愛で、栗ご飯や菊酒を頂き邪気を払い長寿を願う行事は、平安時代から宮中などでも行われていた雅な行事であったと聞く。

もともとは中国から伝わった行事で、陰暦では奇数が縁起が良いとされ陽数の最大値である「9」が重なる9月9日を「重陽」とされたのが所以とされているそうです。

ところで新暦を採用している現在では、9月9日が重陽とされ、夏休みが明けたばかりの湿気も残暑も盛んな時期に菊のお節句と言われても、どうもピンとこない。

と言っても、それがどうしたの?という話なのですが、お花を扱う仕事をしていると、旧暦と新暦とのギャップを埋められないと言う実にどうでもよいテーマの話なのである。

菊はご存知の通り良く持つ花の代表的で日本の花でもある。皇室の紋は菊であり、仏様に手向けるお花も菊。菊は日本人にとって心の花と言っても過言ではないだろうか?

筆者の祖父も秋になると園芸用の素晴らしい仕立ての大輪菊を育てたものだ。白・黄色や紫の大輪の花が秋の乾いた空のもと大変美しく咲き誇っていたのを記憶する。

日本人のほとんどの人が(全員)生まれた時から新暦の中で暮らしてきたのだから、特段違和感を持つ人はいないと思う。1月1日が元旦で12月31日が大晦日というあたりまえの暦のなかで生きてきた訳です。

旧暦・新暦とは?

現在の日本では、明治5年まで使用していた太陰太陽暦の天保暦を指して「旧暦」と呼ぶとき、現在使用している太陽暦であるグレゴリオ暦を指して「新暦」と呼んでいる。

明治維新を迎え、それまでの封建制度は崩壊し、急激な開明的政策のなかで大陰暦が太陽暦にとって変わった明治6年には、さすがに維新に加担した旧藩主やお公家さんの他宮家の一部からも急激な西洋化に異を唱える声が続出したそうで、維新の原動力となった旧薩摩藩の藩父である島津久光公などは、当時の明治政府は相当手を焼いたそうです。保守派の代表的存在である久光は、暦を旧に戻せ、服装を旧に戻せと数えきれない程の難癖を明治政府につけまくり、終生髷を結いとおしたほどでした。

行事の中でお花を飾るシーンを思い浮かべると、お正月・桃の節句・端午の節句・盆・十五夜・重陽の節句・クリスマスと言ったところだろうか。

お正月には常緑の松や梅を飾り、桃の節句には桃をひな壇に飾る。我々日本人はこうした行事を通して季節感を確認したりするし、旬の食べ物を食べながら季節の移ろいを身近に感じることが出来る訳です。

ところが行事ごとに飾ったり手向けたりする花や植物の事を考えると、どうもミスマッチ感が旧暦と新暦の間で生じるのを感じざろう得ないのである。

冒頭に書いたように9月9日の菊祭りは明らかに不釣り合いのような気がするし、新暦の元旦に初春とか迎春とか言われてもどうもピンとこないのが現実。実は中華圏の春節の方がよっぽど正月らしい正月が贈れるのでなないか?そのためお正月に飾る梅などは、蕾が付いた枝を初冬に切り出してムロに入れて花を無理に膨らませる。桃の花もまた同様で、桃の節句なら桃の咲き始めるのは春のお彼岸以降であり旧暦で雛祭りをやった方がよっぽど季節にあっているのだ。七夕は笹を飾り願い事を短冊に記し、星合う日にロマンを感じながら夜空を見上げたりするが、大抵は梅雨の真っただ中で星なんぞは見えないのが毎年のこと。これとて本来はお盆行事で、今でいうなら8月の旧盆の時期が本来の七夕で、この頃の夜空は実に美しく星を愛でる事が出来るのである。

旧重陽の節句から話が飛躍してしまいましたが、さらに飛躍するなら国家百年の計を考える場合、政策はやはり慎重に議論され考えるべき重要性を旧暦と新暦、植物をとおして感じた今日この頃です。

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